本日は、平成26年(2014年)5月24日土曜日

【東京・四ツ谷の経営コンサルタント 中小企業診断士の立石です】

土日・祝日のテーマは「バラエティ」です。先週に引き続き、私が新卒で入社した株式会社キーエンスの話題です。当時のキーエンスは中小企業から大企業へ飛躍する頃でありました。現代の中小企業経営者に参考になることも多いと思います。私の頭の中の記憶を綴りますが、もう四半世紀以上過ぎたので、ボンヤリした内容かもしれません。最近は何事につけ日記を書いておけばよかったと後悔する日々です(笑)

前回綴りましたが、私の上司である責任者が、我々の担当する事業部の独立を契機に営業所長を兼務(昇進)。それでも、個人の売上予算をもっておられました。当時、全国のキーエンス営業部門の中で、最もハードワークの位置におられたのだと思います。かつて、キーエンスの営業をプロのスポーツ選手としてなぞらえましたが、まさに一軍の選手兼監督といったところでしょうか。

キーエンス勤務2年目後半の冬。来期(4月以降)売上予算を討議する会議があり、責任者(兼営業所長)が週末の土曜日、本社に赴くことになりました。その会議には随伴1名という本社事業部トップからの指示がありました。詳しい経緯をよく覚えていないのですが、序列的に無縁であるはずの私が随伴することになりました。会議当日は、雪が舞う相当寒い一日であったと記憶しています。今回は会議の随伴でしたが、過去に何度か指導頂くのも兼ねて、責任者に同行訪問して頂いたことがありました。今思えば、並んで出張に行ったのが、この冬の一日が最後でありました。来期の目標予算は、成長するキーエンスとしては当然、前年実績より大幅に伸長を目指したものとなります。高い予算目標を達成するには、大手ライバル会社の追撃もあって従前の製品群だけでは、この先厳しくなるのは明らかです。帰りの新幹線で話した仕事の話題も只ひとつ。「今まで知恵を使って販売するスタンスを貫いてきたが、来期は強力な新製品に期待したい・・・」。もちろん当日の会議では、開発中の新製品の話題は一切ありませんでした。

そして、2年目の第4四半期。2月早々に責任者(兼営業所長)から直に指示を受けました。「個人成績の推移をみると、うちの販売グループの中で唯一、事業部の年間営業ランキングを狙える位置にいる。またとないチャンスだから(表彰される)3位以内には絶対入るように。もうひとがんばりを期待しています」。その指示通りに努力して、2月度も達成しました。
そして年度最後の3月を迎えます。一般的な会社のセールス部門と同じように、キーエンスの営業所でもホワイトボードがあって、全営業担当者の毎月の目標予算と毎日の進捗が記入されます。数字は全員がひと目で確認できます。その3月の売上目標予算は非常に高いものだったと記憶しています。基本的なセンサの販売グループも相当高い目標だったと思いますが、私が所属する精密計測機器の販売グループは、とりわけ「絶対金額」で圧倒していました。理由は忘れましたが大幅に修正(上乗せ)があったのです。上乗せであれ、確定した売上予算は必達が求められます。過去最高の目標予算。月の当初から達成不可能の予算だろうと販売グループの誰もが予想していました。その月、私は実績数字の集計担当で、「突破○○○○」というスローガンを作りました。(○は目標予算、もちろん売上金額で無く「成果」金額です。正確な数字を記憶していますが割愛します)。グループ別での朝礼・夕礼の際に、「突破○○○○まで残り金額は・・・突破○○○○に向けてがんばりましょう」といった具合です。このように例月にはない数字意識を持つ工夫をしますが、実績数字をいくら積み上げても、まさに焼け石に水。全く追いつかない状況です。「今月は達成会でなく反省会かな?・・・」半ばあきらめムードが漂います。
そんな厳しい月であった年度の最終3月度に、グループのメンバー全員にとって悲しい「ウワサ」が聞こえてきます。私を育ててくださった「責任者兼営業所長が異動(ご栄転)になるらしい。決算日に正式な発表があるだろう・・・」。最後のたむけで、グループ全員が持てる商談すべてを前倒し発注頂けるよう、全力を尽くしました。
そして、最終日となる運命の決算日を迎えます。私にとって、キーエンスでの経験で忘れられない一日となりました。私個人、そして販売グルーブもギリギリの時間に達成します。当時のキーエンスでは、個人の当月目標予算が達成した時点で、営業時間中に「○○さん、達成しました」と発せられます。対して全員が拍手で応えます。そして最も重要であるグループ予算達成時点でも、「○○グループ達成(です)」と営業所全員に発表します。この日は拍手だけでなく「おお~っ」という歓声が聞こえます。我々の販売グループの高い目標予算について、ほとんどの方が関心をもっていたからです。
限界を超えたような高い目標予算の達成。これは快挙です。そして、グループのメンバー全員が、全国一だと自負していたグループの責任者(兼営業所長)と喜びをともにする最後の瞬間です。グループの全員が責任者(兼営業所長)に視線に向けます。周囲の歓声の中、この日ばかりは大はしゃぎする者は誰もいません。互いに目を合わせます。ふだんは豪放磊落(ごうほうらいらく)な責任者(兼営業所長)も、無言で数回うなずくだけです。
全員参加の夕礼の際、「うわさ」が真実となりました。責任者(兼営業所長)の転勤(栄転)が正式に発表されました。今日の決算日がともに働く最終日となったのです。グループ別での夕礼の最中に、所属する事業部からのFAXが入りました。責任者(兼営業所長)がFAXを手に、「おっ!立石さんが年間の成績で3位確定。四月の新年度発表会で表彰されます。おめでとう」との言葉を頂きました。先輩のみなさんも「おお!」「おめでとう」「よかったな」。グループ初の新卒で、おそらく他の誰よりも手間がかかる私を、根気よく指導して頂いた先輩方。営業所に配属された時には、雲の上だった先輩方。そのみなさんの成績を上回ったのです。感無量の瞬間です。しかも表彰される私より、ずっと喜んでいたのは、その先輩方です。

そして、決算日のイベントである退社後の「達成会」。責任者(兼営業所長)の送別会も兼ねます。他グルーブとの合同の達成会で、責任者の周りには、たくさんの人が集まります。リード電機時代に入社されて以来、ずっとこちらの営業所一筋。黎明期には基本センサの販売で腕を上げ、リーダー(→)責任者。自身の実力のみで責任ある地位を築いた方。何年経っても当時のお客さまから、「今どこにいるの?元気にされているの?」と後任の営業担当者に尋ねられる伝説の方。名選手で名監督。決して草野球の監督レベルでは無く、誰もがプロ野球の監督と認めます。そして「豪放磊落でありながら、人(部下)の気持ちが読める。精神主義を嫌ってデータと知恵を使い成果を上げる。厳しいが必ず業務に役立つ指導をする」。当時、キーエンスの営業部門では、誰もがお手本にすべき方であったことに間違いありません。

決算日当日が月曜日でしたが、翌日が祝日。深夜までお別れ会が続きます。店を出たところで胴上げが始まりました。全員、相当酔っていたので、万一の事故が起きるかもしれません。胴上げされた責任者(兼営業所長)が危険を予感して悲鳴をあげます。最後の瞬間、とっさに真下に入って体を支えました。「ああ立石、助かった。ありがとう」に対し、「きちんといますから、大丈夫ですよ」。そして、もう一軒行った後にも無理やり胴上げとなります。「立石~」と絶叫されましたが、今回も私が真下にはいって問題なし。
しかしながら、私が近くに控えるのもこれが最後。私が尊敬した人生の恩師である責任者(兼営業所長)とは、以後再会することの無いお別れとなります。そして、私が密かに決めていたキーエンスを退職する条件「2年目が終了した時点で、年間事業部セールスランキング3位以内」を遂にクリアしました。決意していた通り、いよいよキーエンス退職へと向かいます。次回は、私が相当悩んだ「退職願を出すタイミング」について綴ります。

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